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入荷中 紫の上の病の原因であるもののけの原因である魂を加持祈祷によって救う/大炊御門宗氏/自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻/茶道具-Ⅱ-67B 和書

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入荷中 紫の上の病の原因であるもののけの原因である魂を加持祈祷によって救う/大炊御門宗氏/自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻/茶道具-Ⅱ-67B 和書

紫の上の病の原因であるもののけの原因である魂を加持祈祷によって救う/大炊御門宗氏/自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻/茶道具-Ⅱ-67B_画像1 紫の上の病の原因であるもののけの原因である魂を加持祈祷によって救う/大炊御門宗氏/自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻/茶道具-Ⅱ-67B_画像2 紫の上の病の原因であるもののけの原因である魂を加持祈祷によって救う/大炊御門宗氏/自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻/茶道具-Ⅱ-67B_不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款 閉じる

不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款

紫の上の病の原因であるもののけの原因である魂を加持祈祷によって救う/大炊御門宗氏/自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻/茶道具-Ⅱ-67B_「懸其所仕之車置諸廟」漢詩文の落款 閉じる

「懸其所仕之車置諸廟」漢詩文の落款

紫の上の病の原因であるもののけの原因である魂を加持祈祷によって救う/大炊御門宗氏/自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻/茶道具-Ⅱ-67B_仙台藩医・木村寿禎の落款 閉じる

仙台藩医・木村寿禎の落款

紫の上の病の原因であるもののけの原因である魂を加持祈祷によって救う/大炊御門宗氏/自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻/茶道具-Ⅱ-67B_断層画像写真 閉じる

断層画像写真

紫の上の病の原因であるもののけの原因である魂を加持祈祷によって救う/大炊御門宗氏/自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻/茶道具-Ⅱ-67B_右が紫の上、左が女三の宮の模型 閉じる

右が紫の上、左が女三の宮の模型

紫の上の病の原因であるもののけの原因である魂を加持祈祷によって救う/大炊御門宗氏/自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻/茶道具-Ⅱ-67B_左が冷泉天皇、右が源氏の君の模型 閉じる

左が冷泉天皇、右が源氏の君の模型

紫の上の病の原因であるもののけの原因である魂を加持祈祷によって救う/大炊御門宗氏/自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻/茶道具-Ⅱ-67B_高僧の病快復の御修法(みずほ) 閉じる

高僧の病快復の御修法(みずほ)

令和6年から「源氏物語」の作者・紫式部をモデルにしたNHK大河ドラマ「光る君へ」が放送されております。大鎧着初式 市岡太次郎。

京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵

自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)下」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。■日蓮聖人 涅槃図 (入滅図) 版木 & 木版摺り(4束200枚)当時物■日蓮上人 南無妙法蓮華経 木版画■仏教 佛教 美術■。


自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。エフ・ビー・マイヤー著 エフ・ジー・ハリントン訳『忠義なる家宰』明治30年 基督教書類会社 明治時代のキリスト教書。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。井上士朗短冊 あくまでも… 井上士朗。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。軍事資料 兵営図 銅版画★「近衛歩兵第三連隊真景」明治31年11月発行 明治18年設置 最終スマトラにて軍旗奉焼 貴重品。現在の今上天皇と系譜がつながっている。竹林派弓術集要/射術之部・射礼之部・総説・七道概論・射術細論・遠的概論・繰矢前・指矢前/日置流竹林派は特に堂射射法に優れる/絵入和本。

 関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。☆E0217和本江戸嘉永5年(1852)実録写本「敵討唱几ケ辻」天地人3冊揃い/古書古文書/手書き/出羽国平鹿郡樽見内村(秋田県横手市)。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。増廣名家画譜 芥子園画傅 唐本漢籍 線装本 原書 検索:古籍善本 木刻本 木版画 排印本 武英殿本 聚珍版 宋版 彫版 支那 花箋 筒子頁 玉扣紙。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。伊達千広『大勢三転考』(全3冊揃)明治6年序刊 明治時代和本 国学者・紀州和歌山藩士の歴史書 古代から江戸幕府成立まで 日本史論書。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。★0015和本明治3年(1870)跋富士講「食行尊師不尽道歌三十六首解」全1冊/咲行三生/食行身禄/不二道/実行教/古書古文書/木版摺り。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。森春濤著 森川竹編 依田學海序『春濤詩鈔』(全6冊揃)明治45年文会堂書店刊 漢詩集 明治時代和本 森春涛。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。1916年 茶室庭園画帖 検索:茶道 茶会 露地 茶庭 茶事 蹲居 湯桶 石灯籠 飛石客石 手燭 踏石 御影石 不審庵 今日庵 妙喜庵 蜜庵 夢境庵 竹垣。(資料の記録は下記に掲示)

 出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。甲賀流忍術概略/甲賀流忍術屋敷/木村利一/忍術/甲賀流の発祥地/忍術は何頃から始まったか/往古の甲賀武士/武将と甲賀武士の縁組。
 自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。即決1715(正徳5)年『和漢三才図会 武蔵、相模、伊豆 巻67』アンティーク江戸期和本寺島良安、日本地図、社寺仏閣、東京、神奈川、伊豆。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。古刀銘尽大全/古刀銘盡大全・8冊/仰木伊織/初心目利手引焼刃部類分・鍛冶系図・番鍛冶・刀剣見様之事・焼刃忠押形並彫物・中心銘押形。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。希少 初版 昭和14年【 兩國の秋 綺堂讀物集 】両国の秋 岡本綺堂 新編半七捕物帳 白蝶怪 シミシワ破れ劣化カビあり ボロボロ。また、各巻ごとの書かれた年については不明。鈴木万年『古代模様 やちぐさ 全』明治23年 文求堂蔵版 染織図案集 木版画譜 古美術品文様集 明治時代和本。従って、応永五年とは、書き始めの年である。平部喬南『日向纂記』(全8冊揃)明治18年 荒武純太郎刊(宮崎県南那珂郡楠原村)明治時代和本 日向国史料 宮崎市 日南市 串間市資料。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。鹿児島湾絵図 (仮題) 愛知県 大村氏書之。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。窪田空穂歌幅 東山寺々に… 窪田空穂。


 大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。福井藩松平家旧蔵書 浅見絅斎『靖献遺言講義』(上下巻揃)寛延元年 風月堂荘左衛門刊 中国名士列伝 江戸時代和本。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。纂図附音増広古註千字文 李邏。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。小濱藩儒者奉行 山口春水書状 越前町/次郎兵衛 春水/花押(花押は印)。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。絵図 (城郭図) 山形県 出羽國 山形城 歴史資料 帳仕立て (レターパックライト発送)。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。1点限り!!■明治35年 ちりめん本 「団子をなくしたおばあさん」 No.24 ラフカディオ・ハーン (小泉八雲) 長谷川武次郎 弘文社 英語版 和書。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。『丸山家某家 所藏品入札目録』全328品〔紙本肉筆真作〕/検:鉄斎 刀剣 前茶 桂軸。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。自然成道私記・胎灌頂私記 文安二年・文安三年寫 上州新田庄世良田山/長楽寺/金剛舜明(金資舜明)記。


 旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。吉行淳之介 詩集 吉行淳之介。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。橘守部『心の種』(全3冊揃)天保7年序 岡田屋嘉七他刊 江戸時代和本 歌学書 国学者 和歌論 歌論書。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。BB-4254 ■送料無料■ 正チャン文庫 ズク小僧 悪魔王退治他 読物 本 冊子 古本 古書 挿絵 大正 80g 印刷物 ●13冊 ●汚れ&破損有/くKAら。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。絵図 (城郭図) 茨城県 常陸國 下館城 歴史資料 帳仕立て (レターパックライト発送)。

 出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)下」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。『再板絵本初心柱立』(全3冊揃)寛政6年 今井七郎兵衛他刊 江戸時代和本 動植物を描いた博物画譜 博物図譜 博物学。若菜・下の巻名は朱雀院(前朱雀天皇)の五十の御賀があり、源氏の君はその賀宴を「このたび足りたまはん年、若菜など調(てう)じてや」に因む。諏訪藩(高島藩)武鑑 肉筆 文化頃記。柏木は朱雀院(前朱雀天皇)皇女で源氏の君の正室に降嫁した女三の宮へのかなえられない恋に煩悶する。赤復得楽帖   ◆貴重 /古書画。四年の歳月が経過。寛政・嘉永 水場の定 2枚で。冷泉天皇は在位十八年にして東宮に譲位し今上天皇として即位した。藤井高尚『大祓詞後々釈』永田調兵衛刊 本居宣長の祝詞注釈書『大祓詞後釈』を補正した江戸時代和本 神道資料 国学者。翌年、朱雀院(前朱雀天皇)と女三の宮との対面を企画し五十の賀宴が催されることになった。名古屋市西区最新地図 西区役所編刊。源氏の君は六条院の女たちによる「女楽」による演奏の宴を開いた。杉田三郎助編『雲烟供養図録』(全4冊揃)明治12年後跋 蓬莱山堂蔵版 煎茶会図録 京都の古美術商山堂杉田竹香追善供養 煎茶道 中国文化。柏木は、女三の宮の姉・女二の宮を正室に迎えたが、女三の宮への未練を断ち切れずにいる。箋注倭名類聚抄・10冊/狩谷えきさい/明治16年/辞書研究史上の白眉・倭名類聚抄を底本とし各項目に和漢の古書を引用して考証を施したもの。葵祭りの前日、柏木は源氏の君の不在時に小侍従の手引きにより女三の宮と逢瀬をした。図形璽印彙 印譜 金石篆刻 朱印存 書道 封泥 雅印 遊印 雅号印 石鼓文 篆印 官印 私印 将軍印 落款印 支那 唐本漢籍 呉昌碩 鄧石如 斉白石。夏のある日、源氏の君は女三の宮の体調不良の原因がご懐妊と知り、不審を抱いた源氏の君が柏木から女三の宮あての手紙から柏木と女三の宮の密事が発覚する。馬術警策/露国陸軍少将・マホチーヌイ陸軍少将・高須治輔/明治18年/馬の外形・馬の取扱法・粗悪製の蹄鉄・内部疾病・外部疾病・騎馬行態度。(女三の宮の子がのちの薫の君)源氏の君、41歳から47歳までを描いている。『世継物語』河内屋八兵衛刊 江戸時代和本 和歌を題材にした中世説話集 平安時代和歌文学 栄花物語 宇治大納言物語。


自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)


自筆上部の「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。『増広四書題鏡味根録』(全8冊揃)中国上海刊 唐本 漢籍。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。不盡谷口傳(富士谷成章)吉川彦冨・山口高端筆受『かざし抄』(上中下巻 合本全一冊)明和4年序刊 江戸時代和本 国文学 挿頭抄。)

大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載

《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
「若菜・下」の巻は英文で「New Herbs Part Two」と表記されます。傍訓図解・銃猟新書・明治31年/傍訓図解・猟銃新書・続編・金丸健二郎商店の海山猟夫十文字信介・明治25年/日本初の猟銃指南書/村田銃/2冊。
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という。絵図 (城郭図) 奈良県 大和國 高取城(レターパックライト発送)。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来している。古筆了仲編『紫巌印章花押譜』江戸時代和本 大徳寺歴代高僧の印譜集 仏教書 仏書 臨済宗 禅宗 禅僧。「若菜・下」では在位十八年の冷泉帝が譲位し、これにつれて太政大臣が致仕する。虜愁記 直木賞 千葉治平。原文には、「かしこき帝の君も位を去りたまひぬるに、年ふかき身の冠(かふふり)を懸(か)けむ」と記されており、「白氏文集」の漢詩文からの引用である。津阪東陽(津阪孝綽)『古詩大観』(全2冊揃)文政12年 彙文堂書店刊(京都) 明治時代和本 漢詩註釈書。》

「額縁入自筆原本」



(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。文政武鑑 新板改正 全4冊 須原屋茂兵衛版。)

「自筆原本」

自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘の幾千姫(玉映)の落款。日本書画落款印譜・4冊/杉原夷山編纂/大正8年/古今書画名家の名字・落款・花押等を蒐集しかつその略伝を加えたもの/北斎・永徳・良寛。

自筆上部のタテ長の印は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて
諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款。姑獲鳥の夏 京極堂BOX 魍魎の匣 魍魎の箱 クリアファイル 黒木瞳 椎名桔平 原田眞人 送料無料。
反対側の印は仙台藩医・木村寿禎の落款


《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。中要秘胆弓要集/射形極意秘伝目録/弓道書弓術書・肉筆/文政五年/和装本。》

自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)


自筆が「古切」とされたのは江戸時代。◆江戸時代 天保九年 婚礼百人一首倭織 女大学宝箱 教科書 長代大雑書万暦大成 易学 人相学 占い本。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載

(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。石原悌介撰 井上玄長校『蘭薬手引草』弘化2年序 博愛堂蔵板 江戸時代和本 西洋医学書・薬学書 蘭学 蘭方医学。


《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という若菜・下の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。【希少/除籍本】江戸時代書林出版書籍目録集成 3冊セット 井上書房 和書/古書/慶應義塾大学付属研究所 斯道文庫編【ta01c】。》

《をのれを、》・・・・・月ころ(頃)、てう(調)しわひさせ給ふか、
情なく、つらけれは、「おなしくは、おほし知らせん」
と思ひつれと、さすかに、命も堪ふましく、身をくたきておほし惑ふを、
見たてまつれは、今こそ、かく、いみしき身を受けたれ、いにしへの心の
殘りてこそ、かくまても、參り來たるなれは、物の心くるしさを、え見過くさて、
つひに現れぬること。勢州阿濃津之城図 (津城) 三重県津市内。「さらに知られし」と、思ひつる物をとて、
髮を振りかけて泣くけはひ、たゝ、「むかし見給ひしものゝけのさま」
と見えたる。@宋拓 雁塔聖教序 遂良 有正書局 検:碑帖 本拓本 墨拓 原拓片 碑刻 法帖 珂羅版 支那 法書道 善本 篆刻 旧拓 印譜 唐本 漢籍 王羲之 趙子昴。「あさましく、むくつけし」と、思ししみにしことのかはらぬも、
ゆゝしけれは、此(この)わらは(童)のて(手)をとらへて、・・・・《ひきすへて》


(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。和州法隆寺藏 上宮太子像左右御子 聖徳太子二王子像 天保八年寫。



(2)・自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。高木文草稿 賜架書屋筆乗 高木文。


《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》

《准大上天皇として現世における極上の栄耀栄華を得た我が身を回顧する源氏の君》

《紫の上の体調異変の知らせに源氏の君が僧侶に延命の加持祈祷を依頼する》

《紫の上の病の原因であるもののけの原因である魂を加持祈祷によって再現させる》

《大殿(源氏の君)の祈りによってもののけはみごとに調伏(ちようぶく)された。日置流・竹林派・巻物4本/寛永十酉年・鳴弦神秘・日置流射形一巻目録・長さ約5m・10m・15m・16m。
そこでもののけがみんなの前にああらわれ、
(もののけ)「ほかの人はみな出ていっておくれ。流星の道 (歌集) 与謝野晶子。
院の殿(源氏の君)お一人のお耳に申しあげたい。呉昌碩 石鼓文 検:碑帖 拓本 墨拓片 原拓 漢碑刻 法帖 魏碑 珂羅版 支那 銘文 法書道 善本 篆刻 印譜 唐本 漢籍 王羲之 青銅器 金文 鐘鼎文。
この私(もののけ)を、》・・・・・幾月も祈り伏せて私(もののけ)を苦しい目に
おあわせになるのが嘆かわしく苦しい。アンティーク、天文暦学書、星座図絵、星座早見盤、江戸期和本1699(元禄12)年『古暦便覧備考全4巻』授時暦、陰陽師、卜占、古暦、江戸暦。
だから、どうせなら殿(源氏の君)にこの私のつらさをお知りいただこうと思った。★希少★表紙ちりめん装丁「SWORD&BLOSSOM POEMS」(剣と花)三巻揃 無双帙付 彩色木版画入/古書 古文 挿絵 浮世絵 錦絵本 版画 送料無料!。
けれども、さすがにご自分の命も危なくなるまで骨身を削るようにして
悲嘆にくれていらっしゃる殿(源氏の君)のお姿を拝しては、この私も今は、
こうしたあさましい身に生れ変ってはおりますが、人間は、人の世を生きた昔の心が
残っていればこそ、こうまでしてここにもまいったのだから、なんともおいたわしい
ご様子をとても見過すこともならずに、ついに姿を現してしまったのだ。聖書講義Ⅰ~Ⅷ 全八巻揃 岩波書店 矢内原忠雄 送料無料。
けっしてさとられてはなるまいと思っていたのに」
と言って、もののけが髪を額に振りかけて泣く様子は、
まったく昔ごらんになったことのあるもののけの有様そのものとみえた。塚本邦雄歌幅 雲雀童子の歌 塚本邦雄。
殿(源氏の君)は、もののけの様子を見て、情けなくも気味わるくも、あのとき心底から
そうお思いになったのとそっくりなのもいままわしく感じられるので、
殿(源氏の君)は、もののけが乗り移ったこの女童(めのわらわ)の手を
とらえて・・・・・・《引きすえ、見苦しいことをしでかさぬように押えていらっしゃる。【稀少!江戸期流麗・繊細多数絵入古書】永平寺開祖來傳 珍品検武将武者木版画浮世絵仏教禅宗道元曹洞宗絵本公家武家僧侶甲冑絵本骨董書籍。》

備考1・源氏の君は先天的な優秀性のゆえに帝の寵愛を受けた。昭和11年 帝国書院 国漢参考図録 検索:武道 武具 装身具 馬具 兵器武器 剣術 剣術 武鑑 兵書 戦陣 甲冑 鎧兜 弓箭 弓道 支那 武士道 殺人剣。現在は、准大上天皇として現世における極上の栄耀栄華を得ている。★0350和本江戸元治元年(1864)宗門人別改帳「河州古市郡大黒村宗旨御改帳」1冊/大阪府羽曳野市/古書古文書/手書き。

備考2:冷泉天皇は桐壺天皇と藤壺中宮の皇子としているが実際は源氏の君と藤壺の皇子。茶湯弊帚記 全六巻・附録巻揃 松尾流茶道 松尾宗二述 享保七年壬寅仲夏序。東宮(皇太子)は、今上天皇として即位し、今上天皇と明石女御の御子は、源氏の君の孫、のちに次期天皇として即位する未来が開け源氏の君の栄華が際立つ。大洋・53冊・戦時資料/昭和15年から昭和18年/海軍航空隊特集/無敵潜水艦特集号/決戦の焦点ラバウル特集/山本五十六元帥追悼/比島決戦特集。

現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)

備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。書畫大観 乾・坤 書画大観 大正6年発行 ※状態難あり 大型本4冊/小冊子1冊 計5冊。
禁裏(京都御所)で書かれたものです。名臣言行録 前後集 合本3冊 宋朱晦菴先生 朱熹撰。


(2)・自筆の「英訳文」は次の通りです。完品 森鴎外 大村西崖『審美綱領』(全2冊揃)明治32年春陽堂 初版本 エドゥアルト・フォン・ハルトマン原著「美の哲学」編述書 明治文学。


《New Herbs Part Two(若菜・下)》

I have wanted you to suffer as I have suffered.
But then I saw that I had brought you to the point of death and I pitied you,
and so I have come out into the open.
I am no longer able to seem indifferent, though I am the wretch you see.
It is precisely because the old feelings have not died that I have come to this.
I had resolved to let myself be known to no one."
He had seen it before. The old terror and anguish came back.
He took the little medium by the hand lest she do something violent.


英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)



(2)・自筆の「中国語訳」は次の通りです。李園主人序『湖月百人一首操庫 全』天保8年甘泉堂梓 江戸時代和本 彩色木版画口絵2面入 源氏物語五十四帖図ほか。


《若菜・下》

我数月来受法力制,不其苦。二条良基問 頓阿答『愚問賢注』寛永19年 武村市兵衛刊(京都)南北朝時代の歌論書 和歌問答 江戸時代和本。恨之,今天索性点手段,
借此使知道。噫山本元帥/大本営海軍報道部推薦/昭和19年・10000部/米内光正・鈴木貫太郎・文/大東亜戦争海軍作戦記録画・藤田嗣治/山本元帥写真伝。但我看悲得不身命,可怜。質物台帳 8冊一括 能味力之助(秋田県仙北郡大曲町) 明治大正 大曲警察署 風俗資料 質屋 質札 自筆 肉筆 日記 帳簿 骨董品。
我身已可耻之鬼魂,然而并未忘生前的旧情,
故前来探望。古沢岩美 裸婦賛 限定250部 著者用 洋画家 豆本 蘭繁之 木版画 装丁家 詩人俳人 作家 造本 立川広己 福沢一郎 麻生三郎 初版 書票家 美術会。我如此痛苦,不能若无睹,于向。1925年 王陽明 傅習録 新学会社 漢文 古籍 唐本漢籍 上下2冊 検索:支那 玉扣 善本 線装 木版刷 木刻本 筒子頁 殿本 套印 宣紙 白棉紙 内府。
我本来是不想教知道是我的。唐本漢籍 海上名人画譜 芥子園画傅 検索:支那 山水画 仕女図 折扇面 唐画冊 玉扣善本 木版刷 木刻 筒子頁 殿本 套印 宣紙 白棉紙 清朝 内府。”那女童哭,
姿全同昔年附在葵身上的鬼魂一。平野謙草稿 「日野啓三の時評」 平野謙。
源氏分明得那所可可怕之状,此次重,
得毫无更,真乃不祥之兆。心理応用・魔術と催眠術/長春園主人著/明治36年/心理学上精神作用の試験をなし心理学の発達進歩を図りその真理を発見せんとするにあり。


中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)


「若菜・下の巻」原本の末尾(原本番号107-B)の印は、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印

中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・下の巻の末尾(原本番号107-B)の押印。土地 武者小路実篤 岸田劉生装幀。
左下の四角の大きな印は仙台・伊達家の家紋の印(竹に雀)
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)の印。鉱業家要覧 大正4年 地質学 鉱物学 戦前明治大正 古書和書古本 N。冬姫は内大臣・通誠の養女。江戸後期刊 五大尊種子 薬師十二神将/古文書 仏教美術 五大明王。
冬姫は通称。松浦辰男(萩坪) 『芳宜の下葉』明治27年 宮崎八百吉刊 平田神道を学んだ国学者 桂園派の歌人。正式な名は伊達貞子。写本 新保磐根序「八日子之舎記」嘉永元年序 新潟県弥彦村「彌彦神社」祠官鈴木嘉内旧蔵書 神社 神道 国学。2つとも貞子の印。洋学指針 蘭学部 尾張/柳河春三著。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。西国三十三所・観音御詠歌略註/山田意斎叟述・宮田翠竹斎画/明治32年/観音経・観世音詠歌/和装本。
左上端の細長い落款は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩文の印。原在泉『在泉習画帖』明治22年 田中治兵衛刊 木版画譜(絵手本)有職故実を能くした京都府画学校教授・日本画家 明治時代和本。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。珂羅版 皇甫君碑 南宋拓本 玻璃版 澄観閣 検:碑帖 墨拓片 原拓 書法帖 北魏碑 支那 法書道 善本 篆刻 印譜 唐本 漢籍 王羲之 石門頌 楷書。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。Y-0641 犬養木堂 注記本 古今鍛冶備考 3巻セット 雄山閣 昭和50年 山田浅右衛門 福永酔剣 限定500組。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。新方丈記 内田百閒。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。1849年 英雄百人一首 嘉永2年 検索: 武道 武具 装身具 北斎 兵器 武器 刀剣 刀術 国芳 兵法 兵書 豊国 甲冑 鎧兜 弓道 支那 武士道 殺人剣。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)


自筆の疎明資料等は、下記の通りです。柳原白蓮歌 名取春仙画幅 おもひきや… 白蓮画賛。



(Ⅰ)・上の写真右端は、高松宮「源氏物語」のうち「桐壺」の巻冒頭・(出典資料 別冊「太陽」「源氏物語絵巻五十四帖」(平凡社・刊)78頁。田能村小斎 (田能村順之助) 編『直入翁寿筵図録』(全3冊揃)明治14年赤志忠雅堂刊 田能村直入煎茶会図録 木版画挿絵多数入 明治時代和本。筆者は近衛関白政家公。王羲之 快雪時晴帖 珂羅版 書道法帖 中華民国 検索:泰山金剛経 支那 印譜法書 金石篆刻 呉昌碩 拓本 摩崖石刻 羅振玉 黄庭堅 趙子昴 玻璃版。中央の写真は、応永五年(1398)の年号。☆E0225和本江戸慶応3年の書き入れ「新撰年表」全1冊/佐倉順天堂/清宮秀堅/蘭学/古書古文書/木版摺り。年号の左の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)。佐藤元伯(佐藤信景)著 佐藤信淵校『山相秘録』(全2冊揃)明治9年 明治時代和本 江戸時代の鉱山書 金山 銀山 銅山など。左の写真は、桐壺の巻の奥付。はつぞら (俳諧) 佳雄編。左大臣から関白に昇進した近衛基熙(もとひろ)公の花押。富士谷御杖『俳諧天爾波抄』(全6冊揃)文化4年刊 俳諧文法書 江戸時代和本 富士谷成章の子 国学者。上下2段の花押のうち、上の印は。1929年 支那 古建築 検索:生写真 佛塔 秦磚 漢瓦當 拓本 碑刻 牌楼 牌坊 箭楼 北平 満洲 清国 龍門石窟 故宮 道観 敦煌 北魏造像 行宮 寺廟。出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医・木村寿禎の落款(印譜)


「自筆の画像断層(MRI)写真」


(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・下の巻)MRI 35―67B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款



「天皇の曽祖父・大炊御門宗氏の系図」「額縁裏面表記ラベル」
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」


1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。信濃英傑 佐久間象山大志伝 上下合本 明治15年 YAA1816。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)


「源氏物語」「若菜・下の巻」絵図、茶室関係資料

下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・下)」(源氏物語絵巻)

朱雀院(前朱雀天皇)の五十の賀を祝い女三の宮、紫の上、明石女御が演奏する「女楽」の有名な場面
上の女性三人のうち右から紫の上は和琴、明石の女御は箏、女三の宮の琴。橘守部述 橘冬照撰『助辞本義一覧』(全2冊揃)天保12年須原屋茂兵衛他刊 国学者 国語学書 江戸時代和本 本居宣長批判書。
手前の後ろ姿で琵琶を弾いているのが明石の君



上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)

上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例




大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品
商品説明(来歴)大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。漆器 木竹 螺鈿 図案 文様 紋様 図録 平脱 金銀絵 末金鏤 漱金 透漆 図様 彩漆 原色版 塗金 洒金 装飾 彫塑 蒔絵 沈金 蒟醤 彫刻 堆朱 鎌倉。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。蘇東坡 赤壁賦 検索:柯羅版 玻璃版 原色 支那 原拓片 北魏碑帖 法帖 法書道 印譜 漢籍 善本 古墨拓 碑刻石 瓦当 金石 篆刻 唐本拓本 王羲之。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。岩波其残撰評点印句集 信州諏訪俳人。

漢詩文原本自筆上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という。@満洲 事変時 資料 検索:支那 朝鮮 台湾 関東軍部 総督府 国民党 張作霖 張学良 満鉄 奉天 抗日 日中戦争 蒋介石 GHQ 禁書 生写真 古地図。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来するものです。児玉果亭揮毫 田近竹邨序「小坂芝田印譜集」明治43年序 芝田艸堂刊 明治時代和本 落款 篆刻。「若菜・下」では在位十八年の冷泉帝が譲位し、これにつれて太政大臣が致仕する。師語録 上下巻各二巻 寫本 曲直瀬道三著。原文には、「かしこき帝の君も位を去りたまひぬるに、年ふかき身の冠(かふふり)を懸(か)けむ」と記されており、「白氏文集」の漢詩文からの引用である。零本 便々館琵琶麻呂撰 歌川貞景画『狂歌芸藍百人一首』天保3年/榎樹園蔵板か 6丁目まで存 江戸時代和本 絵入狂歌本。紫式部は「若菜・下の巻」を書くに際し、漢詩を熟読したうえで原文を書いていることがわかります。国文参考図鑑 検索:武道 武具 装身具 馬具 兵器 武器 刀剣術 装束 剣術 朝服 兵法 武家 女官 戦陣 甲冑 鎧兜 弓箭 弓道 支那 武士道 殺人剣。また、原文中の上部に「篆書(てんしょ)体」の落款を入れたのは、仙台藩の藩主の正室・仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)、通称伊達貞子か出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)のいずれかと推定されております。※企救乃濱松 小林愛宕喜寿祝歌集 筑前遠賀郡香月村生福岡県小倉酒造業屋号岩田屋安左衛門氏妻 二條基弘千家尊福下田歌子物集高見等献歌。

漢詩の落款の意味原本上部の漢詩の落款は、「讃」と称されるもので、古来、掛軸の書画に第三者がお褒めの言葉を書き込むもので元々は自筆でした。1939年 古今刀剣のしるべ 2冊揃 検索:武器 兵器 日本刀 剣道 武道 武具 馬具 装身具 弓箭 弓道 武士道 甲冑 殺陣 戦陣 刀鍔 範士 兵法 傅書。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。豊明り 可都美序 俳書。 特に出雲・松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。本朝武芸小伝・干城小伝/大日本武徳会/兵法・諸礼・射術・馬術・刀術・槍術・砲術・柔術・日本武芸列伝として最古のものである。 「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。Glp_339325 故実叢書 武家名目抄 職名部 巻一~巻九 塙検校保巳一.編/今泉定介.編。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。『写景学講本』明治時代和本 石版画20枚入 西洋絵画法 図法幾何学 透視図法 透視法 画図教科書 西洋絵画 洋画 デッサン 素描。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。美濃国絵図 (大図) 制作者等不明。茶道では「掛け軸は最高のごちそう」といわれております。実戦刀譚/日中戦争軍刀修理班・成瀬関次/昭和16年/日本刀・軍刀の実像を検証した唯一の貴重な資料・現行の軍刀外装の疑問点を考察した書。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。三遊落語八笑人 三遊亭円朝編 晴方 芳年等挿絵。「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。董其昌 翰香館 拓本 法帖 経折本 検索:王右軍 柯羅版 玻璃版 支那 原拓片 北魏碑帖 法書道 印譜 漢籍善本 古墨拓 碑刻石瓦当 金石篆刻 唐本。 落款の「讃」の元になるその原文の個所には、
「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款が押捺されている。@1937年 土匪村行脚 初版 検索: 支那 生写真 中華民国 軍閥 国民党軍 古建築 流民 総督府 憲兵 白黒写真 巡捕 租界 洋行 偽軍 馬賊 満洲国。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。石川丈山『覆醤集』(上下巻揃 合本1冊)寛文11年林庄五郎開版 漢詩集 江戸時代和本。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。☆E0007和本江戸天明2年(1782)序儒者随筆写本「駒谷芻言」1冊/松村梅岡/古書古文書/手書き。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。書簡 木村武山 田所登 宛 軍事 資料 友部航空隊。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。明治廿七八年・日清戦史・2冊/参謀本部/旅順半島の作戦・旅順口の攻略・旅順半島清国軍の行動・軍の後方及内地に於ける施設/日清戦争。


自筆の希少価値について自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。土佐秀信画『増補仏像図彙』(2冊=巻2+巻5)寛政8年 上田卯兵衛他刊 江戸時代和本 仏教美術 仏画集。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。並木舎五瓶(初代並木五瓶)著『誹諧通言』文化年間刊 江戸時代和本 洒落本 吉原遊郭ほか花街・遊郭・花魁・遊女に関係する語彙集。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。★A13和本文政11年(1828)栃木古記録「日記(仮題)」1冊/天気/古書古文書/手書き。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。河鍋暁斎・小林聖湖挿絵多数入 中村頼治増補『頭書増補 絵本太平記』(13冊セット)明治16年東京同益出版社刊 一部彩色木版画入。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。★0390和本江戸元治2年(1865)「五家失徳」全1冊/徳川斉昭/水戸/古書古文書/手書き。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。書画鑑定指針 落款 印譜 検索: 書道 印存 封泥 篆刻 石鼓文 篆字 朱印 羅振玉 花押 支那 印章 雅印 遊印 法帖碑帖 拓本 古墨 珂羅版 鐘鼎文。撮影後、展示のために再表装をしております。伊勢門水自画賛幅 高砂末広 伊勢門水。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。曲亭馬琴著 渡辺小華他画『羇旅漫録』(全3冊揃)明治19年 須原鉄二刊 明治時代和本 紀行随筆集 京都・大阪案内。

断層(MRI)写真従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。絵図(城郭図) 茨城県 常陸國 土浦城(レターパックライト発送)。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。即決 天文暦学書、明治期和本1883~1897(明治16~30)年16冊合冊『太陽暦 略本暦 おばけ暦』八卦、卜占、陰陽師 、二十八宿、略本暦。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。樗良自畫賛雪中山水圖 三浦樗良。

寸法「源氏物語」自筆の大きさ タテ21.8センチ ヨコ12.8センチ。森鴎外『審美新説 全』明治33年 春陽堂刊(初版本) 明治文学 明治時代和本 美学論 哲学論。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。伊勢門水画賛幅 狂言円形画 伊勢門水。額縁は新品です。福田栄造編『銅版絵入懐中東京案内 二編』明治10年同盟舎出版刊 明治時代和本 銅版画挿絵多数。

「源氏物語」の自筆について1・筆跡の分析について
 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。HH-5449 ■送料無料■ 芸州藩射芸書 天地人 全1帙3冊揃え 昭和12年 日置流弓道 武術 和書 古本 古書 古文書 戦前 レトロ 書籍 /くJYら。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。■『狙日第五列』山中峯太郎著。昭和15年初版帯。帯付稀本。同盟出版社刊。■猶太(ユダヤ)國際陰謀の基底を小説化。。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。饗庭篁村旧蔵書 岡田挺之(岡田新川)『秉穂録』(全4冊揃)寛政7~11年 永楽屋東四郎刊 江戸時代和本。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。【希少】講談日露戦争記第十五 奉天占領 神田伯龍講演/丸山平次郎速記 中川玉成堂 明治38年【ta04b】。

2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。長野義言(長野主膳)『活語初乃栞』弘化3年跋刊 井伊直弼に仕えた近江彦根藩士・国学者 江戸時代和本 活語初の栞。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。1928年 女官 女房 装束 服色図解 検索:武家 武道 武具 装身具 馬具 兵器 武器 刀剣術 木版画 兵法 兵書 傳書 戦陣 甲冑鎧兜 弓矢 弓道 支那。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。1937年 剣道教程 陸軍省検閲 検索:武道 武具 装身具 馬具 兵器 武器 刀剣術 武術 範士 兵法 戦陣 甲冑 鎧兜 弓矢 弓道 支那 武士道 殺人剣。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。画本拾葉 3冊合本 雪蕉斎 寺井重房 検索:支那 唐本漢籍 書道 唐画譜 朱印譜 落款 木版刷 木刻 印存 金石 篆刻 印社 肉筆 張瑞図 漢文 漢詩。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。弓道伝書/弓術伝書/日置流・小笠原流・吉田流/和装本/昭和11年。

3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。1940年 兵器考 検索:武道 武具 装身具 馬具 兵器 武器 刀剣 刀術 剣術 範士 兵法 兵書 傳書 戦陣 甲冑 鎧兜 弓箭 弓道 支那 武士道 殺人剣。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。菊池幽芳著 鏑木清方画「毒草」(合本全2冊)大正5-6年に大阪毎日新聞に掲載された連載小説切抜。

4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。口称三昧修習録 金剛寺・法上述。母は後水尾天皇皇女女二宮。伴信友(写) 伊勢貞丈『鳴弦蟇目考』享和3年 鳴弦(弦打)蟇目に関する考証書 江戸時代和本(写本)有職故実。実母は近衛家女房(瑤林院)。地熱 渾大防小平。幼名は多治丸。即決 『星学図彙=スミス図解天文学』太陽系 宇宙、星図、アンティーク、天文暦学書、和本Astronomy, star map, Planisphere。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。一柳春門(村田春門)『牽牛花百首』文政7年 多豆舎蔵版 本居宣長に学んだ国学者 朝顔を題材とした歌集 江戸時代和本。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。支那事変郷土部隊写真集・両角外部隊戦況と銃後の実況/昭和13年/両角部隊の勇戦を中心に一般部隊戦況と銃後の実況につき一書を刊行。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。太田柿葉『出雲民藝紙の由来』限定300部 昭和20年 安部栄四郎特漉の手漉和紙59枚貼込 島根民芸会岩坂支部刊 柳宗悦 民藝運動。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。軍事資料 兵営図 銅版画★「近衛歩兵第一旅団兵営之図」明治29年9月発行 明治18年設置 著作者 東義道。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。満州土産写真帖/大正3年/満州地図/大連埠頭の全景/大連の満鉄本社/満鉄の急行列車/旅順停車場/旅順の歩兵連隊/遼陽の歩兵隊/奉天の宮殿。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている

HP近衛基熙・旧所蔵「源氏物語」自筆を出品いたしました。明治45年 外務省通商局 移民調査報告。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。柏木如亭集 覆(和装6冊)/載(年譜・解題ほか)。

ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。古文書 書簡 安島帯刀 重国賢兄宛て 水戸藩 家老 安政の大獄 切腹 変名 梅東 歴史資料。


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