《New Herbs Part Two(若菜・下)》 "Such numbers of cats as you do seem to have. Where is my own special favorite?" The Chinese cat was apprehended and brought in. He took it in his arms. "Yes, it is a handsome beast," said the crown prince, "but it does not seem terribly friendly. Maybe it is not used to us. Do you really think it so superior to our own cats?" "Cats do not on the whole distinguish among people, though perhaps the more intelligent ones do have the beginnings of a rational faculty. But just look at them all, such swarms of cats and all of them such fine ones. Might I have the loan of it for a few days?"
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)下」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。伊達千広『大勢三転考』(全3冊揃)明治6年序刊 明治時代和本 国学者・紀州和歌山藩士の歴史書 古代から江戸幕府成立まで 日本史論書。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。★0015和本明治3年(1870)跋富士講「食行尊師不尽道歌三十六首解」全1冊/咲行三生/食行身禄/不二道/実行教/古書古文書/木版摺り。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。森春濤著 森川竹編 依田學海序『春濤詩鈔』(全6冊揃)明治45年文会堂書店刊 漢詩集 明治時代和本 森春涛。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。1916年 茶室庭園画帖 検索:茶道 茶会 露地 茶庭 茶事 蹲居 湯桶 石灯籠 飛石客石 手燭 踏石 御影石 不審庵 今日庵 妙喜庵 蜜庵 夢境庵 竹垣。現在の今上天皇と系譜がつながっている。甲賀流忍術概略/甲賀流忍術屋敷/木村利一/忍術/甲賀流の発祥地/忍術は何頃から始まったか/往古の甲賀武士/武将と甲賀武士の縁組。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。即決1715(正徳5)年『和漢三才図会 武蔵、相模、伊豆 巻67』アンティーク江戸期和本寺島良安、日本地図、社寺仏閣、東京、神奈川、伊豆。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。古刀銘尽大全/古刀銘盡大全・8冊/仰木伊織/初心目利手引焼刃部類分・鍛冶系図・番鍛冶・刀剣見様之事・焼刃忠押形並彫物・中心銘押形。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。希少 初版 昭和14年【 兩國の秋 綺堂讀物集 】両国の秋 岡本綺堂 新編半七捕物帳 白蝶怪 シミシワ破れ劣化カビあり ボロボロ。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。鈴木万年『古代模様 やちぐさ 全』明治23年 文求堂蔵版 染織図案集 木版画譜 古美術品文様集 明治時代和本。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。平部喬南『日向纂記』(全8冊揃)明治18年 荒武純太郎刊(宮崎県南那珂郡楠原村)明治時代和本 日向国史料 宮崎市 日南市 串間市資料。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。鹿児島湾絵図 (仮題) 愛知県 大村氏書之。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。窪田空穂歌幅 東山寺々に… 窪田空穂。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。福井藩松平家旧蔵書 浅見絅斎『靖献遺言講義』(上下巻揃)寛延元年 風月堂荘左衛門刊 中国名士列伝 江戸時代和本。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。纂図附音増広古註千字文 李邏。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。小濱藩儒者奉行 山口春水書状 越前町/次郎兵衛 春水/花押(花押は印)。また、各巻ごとの書かれた年については不明。絵図 (城郭図) 山形県 出羽國 山形城 歴史資料 帳仕立て (レターパックライト発送)。従って、応永五年とは、書き始めの年である。1点限り!!■明治35年 ちりめん本 「団子をなくしたおばあさん」 No.24 ラフカディオ・ハーン (小泉八雲) 長谷川武次郎 弘文社 英語版 和書。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。『丸山家某家 所藏品入札目録』全328品〔紙本肉筆真作〕/検:鉄斎 刀剣 前茶 桂軸。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。自然成道私記・胎灌頂私記 文安二年・文安三年寫 上州新田庄世良田山/長楽寺/金剛舜明(金資舜明)記。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。吉行淳之介 詩集 吉行淳之介。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。橘守部『心の種』(全3冊揃)天保7年序 岡田屋嘉七他刊 江戸時代和本 歌学書 国学者 和歌論 歌論書。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。BB-4254 ■送料無料■ 正チャン文庫 ズク小僧 悪魔王退治他 読物 本 冊子 古本 古書 挿絵 大正 80g 印刷物 ●13冊 ●汚れ&破損有/くKAら。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。絵図 (城郭図) 茨城県 常陸國 下館城 歴史資料 帳仕立て (レターパックライト発送)。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。『再板絵本初心柱立』(全3冊揃)寛政6年 今井七郎兵衛他刊 江戸時代和本 動植物を描いた博物画譜 博物図譜 博物学。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。諏訪藩(高島藩)武鑑 肉筆 文化頃記。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。赤復得楽帖 ◆貴重 /古書画。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。寛政・嘉永 水場の定 2枚で。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。藤井高尚『大祓詞後々釈』永田調兵衛刊 本居宣長の祝詞注釈書『大祓詞後釈』を補正した江戸時代和本 神道資料 国学者。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。名古屋市西区最新地図 西区役所編刊。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。杉田三郎助編『雲烟供養図録』(全4冊揃)明治12年後跋 蓬莱山堂蔵版 煎茶会図録 京都の古美術商山堂杉田竹香追善供養 煎茶道 中国文化。
出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)下」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。箋注倭名類聚抄・10冊/狩谷えきさい/明治16年/辞書研究史上の白眉・倭名類聚抄を底本とし各項目に和漢の古書を引用して考証を施したもの。若菜・下の巻名は朱雀院(前朱雀天皇)の五十の御賀があり、源氏の君はその賀宴を「このたび足りたまはん年、若菜など調(てう)じてや」に因む。図形璽印彙 印譜 金石篆刻 朱印存 書道 封泥 雅印 遊印 雅号印 石鼓文 篆印 官印 私印 将軍印 落款印 支那 唐本漢籍 呉昌碩 鄧石如 斉白石。柏木は朱雀院(前朱雀天皇)皇女で源氏の君の正室に降嫁した女三の宮へのかなえられない恋に煩悶する。馬術警策/露国陸軍少将・マホチーヌイ陸軍少将・高須治輔/明治18年/馬の外形・馬の取扱法・粗悪製の蹄鉄・内部疾病・外部疾病・騎馬行態度。四年の歳月が経過。『世継物語』河内屋八兵衛刊 江戸時代和本 和歌を題材にした中世説話集 平安時代和歌文学 栄花物語 宇治大納言物語。冷泉天皇は在位十八年にして東宮に譲位し今上天皇として即位した。『増広四書題鏡味根録』(全8冊揃)中国上海刊 唐本 漢籍。翌年、朱雀院(前朱雀天皇)と女三の宮との対面を企画し五十の賀宴が催されることになった。不盡谷口傳(富士谷成章)吉川彦冨・山口高端筆受『かざし抄』(上中下巻 合本全一冊)明和4年序刊 江戸時代和本 国文学 挿頭抄。源氏の君は六条院の女たちによる「女楽」による演奏の宴を開いた。傍訓図解・銃猟新書・明治31年/傍訓図解・猟銃新書・続編・金丸健二郎商店の海山猟夫十文字信介・明治25年/日本初の猟銃指南書/村田銃/2冊。柏木は、女三の宮の姉・女二の宮を正室に迎えたが、女三の宮への未練を断ち切れずにいる。絵図 (城郭図) 奈良県 大和國 高取城(レターパックライト発送)。葵祭りの前日、柏木は源氏の君の不在時に小侍従の手引きにより女三の宮と逢瀬をした。古筆了仲編『紫巌印章花押譜』江戸時代和本 大徳寺歴代高僧の印譜集 仏教書 仏書 臨済宗 禅宗 禅僧。夏のある日、源氏の君は女三の宮の体調不良の原因がご懐妊と知り、不審を抱いた源氏の君が柏木から女三の宮あての手紙から柏木と女三の宮の密事が発覚する。虜愁記 直木賞 千葉治平。(女三の宮の子がのちの薫の君)源氏の君、41歳から47歳までを描いている。津阪東陽(津阪孝綽)『古詩大観』(全2冊揃)文政12年 彙文堂書店刊(京都) 明治時代和本 漢詩註釈書。
自筆上部の「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。文政武鑑 新板改正 全4冊 須原屋茂兵衛版。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。日本書画落款印譜・4冊/杉原夷山編纂/大正8年/古今書画名家の名字・落款・花押等を蒐集しかつその略伝を加えたもの/北斎・永徳・良寛。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
「若菜・下」の巻は英文で「New Herbs Part Two」と表記されます。姑獲鳥の夏 京極堂BOX 魍魎の匣 魍魎の箱 クリアファイル 黒木瞳 椎名桔平 原田眞人 送料無料。
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という。中要秘胆弓要集/射形極意秘伝目録/弓道書弓術書・肉筆/文政五年/和装本。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来している。◆江戸時代 天保九年 婚礼百人一首倭織 女大学宝箱 教科書 長代大雑書万暦大成 易学 人相学 占い本。「若菜・下」では在位十八年の冷泉帝が譲位し、これにつれて太政大臣が致仕する。石原悌介撰 井上玄長校『蘭薬手引草』弘化2年序 博愛堂蔵板 江戸時代和本 西洋医学書・薬学書 蘭学 蘭方医学。原文には、「かしこき帝の君も位を去りたまひぬるに、年ふかき身の冠(かふふり)を懸(か)けむ」と記されており、「白氏文集」の漢詩文からの引用である。【希少/除籍本】江戸時代書林出版書籍目録集成 3冊セット 井上書房 和書/古書/慶應義塾大学付属研究所 斯道文庫編【ta01c】。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。勢州阿濃津之城図 (津城) 三重県津市内。)
「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。@宋拓 雁塔聖教序 遂良 有正書局 検:碑帖 本拓本 墨拓 原拓片 碑刻 法帖 珂羅版 支那 法書道 善本 篆刻 旧拓 印譜 唐本 漢籍 王羲之 趙子昴。
自筆上部のタテ長の印は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて
諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款。和州法隆寺藏 上宮太子像左右御子 聖徳太子二王子像 天保八年寫。
反対側の印は仙台藩医・木村寿禎の落款
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。高木文草稿 賜架書屋筆乗 高木文。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。日置流・竹林派・巻物4本/寛永十酉年・鳴弦神秘・日置流射形一巻目録・長さ約5m・10m・15m・16m。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。流星の道 (歌集) 与謝野晶子。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という若菜・下の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。呉昌碩 石鼓文 検:碑帖 拓本 墨拓片 原拓 漢碑刻 法帖 魏碑 珂羅版 支那 銘文 法書道 善本 篆刻 印譜 唐本 漢籍 王羲之 青銅器 金文 鐘鼎文。》
《をしへきこえたま(給)ふ》・・・・とて、
「御ねこ(猫)とも、あまた、つと(集)ひ侍(はへり)にけり。アンティーク、天文暦学書、星座図絵、星座早見盤、江戸期和本1699(元禄12)年『古暦便覧備考全4巻』授時暦、陰陽師、卜占、古暦、江戸暦。
いつら、この、みし人は」
と、たつねて、見つけ給へり。★希少★表紙ちりめん装丁「SWORD&BLOSSOM POEMS」(剣と花)三巻揃 無双帙付 彩色木版画入/古書 古文 挿絵 浮世絵 錦絵本 版画 送料無料!。いと、らうたくおほえて、
かき撫て居たり。聖書講義Ⅰ~Ⅷ 全八巻揃 岩波書店 矢内原忠雄 送料無料。宮も、
「けに、をかしきさましたりけり。塚本邦雄歌幅 雲雀童子の歌 塚本邦雄。心なむ、またなつき難きは、
見馴れぬ人を、知るにやあらむ。【稀少!江戸期流麗・繊細多数絵入古書】永平寺開祖來傳 珍品検武将武者木版画浮世絵仏教禅宗道元曹洞宗絵本公家武家僧侶甲冑絵本骨董書籍。こゝなる猫とも、ことにをとらすかし」
とのたまえは、
「これは、さるわきまへ心も、をさをさ侍らぬ物なれと。昭和11年 帝国書院 国漢参考図録 検索:武道 武具 装身具 馬具 兵器武器 剣術 剣術 武鑑 兵書 戦陣 甲冑 鎧兜 弓箭 弓道 支那 武士道 殺人剣。
その中にも、心かしこきは、おのつから、たましひ侍らんかし」
なと、きこえて、
「まさるとも、侍ふめるを。★0350和本江戸元治元年(1864)宗門人別改帳「河州古市郡大黒村宗旨御改帳」1冊/大阪府羽曳野市/古書古文書/手書き。これは、しはし、賜はり預からむ」
と、申(もうし)給(たま)ふ。茶湯弊帚記 全六巻・附録巻揃 松尾流茶道 松尾宗二述 享保七年壬寅仲夏序。心のうち(中)に、
あなかちに、おこかましく、・・・・《かつはおほゆ。大洋・53冊・戦時資料/昭和15年から昭和18年/海軍航空隊特集/無敵潜水艦特集号/決戦の焦点ラバウル特集/山本五十六元帥追悼/比島決戦特集。》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。書畫大観 乾・坤 書画大観 大正6年発行 ※状態難あり 大型本4冊/小冊子1冊 計5冊。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《柏木・東宮(皇太子)に頼み込んで女三の宮が大切にしている猫を預かる》
《衛門督(柏木)はまだ童(わらわ)であった時分から、朱雀院(すざくいん・前朱雀天皇)が
とりわけお心をかけお召し使いになっておられた。完品 森鴎外 大村西崖『審美綱領』(全2冊揃)明治32年春陽堂 初版本 エドゥアルト・フォン・ハルトマン原著「美の哲学」編述書 明治文学。
それで、朱雀院(前朱雀天皇)が、ご出家あそばした後も、衛門督(柏木)は
やはりこの東宮(皇太子)にも親しく参上して、お仕え申しているのである。李園主人序『湖月百人一首操庫 全』天保8年甘泉堂梓 江戸時代和本 彩色木版画口絵2面入 源氏物語五十四帖図ほか。
衛門督(柏木)が東宮(皇太子)にお琴などをお教え申される》・・・・ついでに、
(柏木)「御猫たちが大勢集まっておりますのですね。二条良基問 頓阿答『愚問賢注』寛永19年 武村市兵衛刊(京都)南北朝時代の歌論書 和歌問答 江戸時代和本。
さて、どちらにおりましょうか、私の見知りの人は」
とあたりを捜して、宮(女三の宮)の愛猫であったその猫をお見つけになった。噫山本元帥/大本営海軍報道部推薦/昭和19年・10000部/米内光正・鈴木貫太郎・文/大東亜戦争海軍作戦記録画・藤田嗣治/山本元帥写真伝。
まことにかわいくてならないので、衛門督(柏木)が
宮(女三の宮)の愛猫をかき撫(な)でている。質物台帳 8冊一括 能味力之助(秋田県仙北郡大曲町) 明治大正 大曲警察署 風俗資料 質屋 質札 自筆 肉筆 日記 帳簿 骨董品。
東宮(皇太子)も、
(皇太子)「なるほどかわいい様子をしているね。古沢岩美 裸婦賛 限定250部 著者用 洋画家 豆本 蘭繁之 木版画 装丁家 詩人俳人 作家 造本 立川広己 福沢一郎 麻生三郎 初版 書票家 美術会。
まだ心からなついてくれないのは、人見知りしているのだろうか。1925年 王陽明 傅習録 新学会社 漢文 古籍 唐本漢籍 上下2冊 検索:支那 玉扣 善本 線装 木版刷 木刻本 筒子頁 殿本 套印 宣紙 白棉紙 内府。
わたしのところの猫たちもそう負けはしないな」
と東宮(皇太子)が仰せになるので、
(柏木)「猫というものは、そんな分別はめったにあるものではございませんが、
しかし特に利口なのには、おのずと性根がございますでしょう」
などと衛門督(柏木)が東宮(皇太子)に申しあげたうえ、
(柏木)「もっとよい猫がこちらには幾匹もおりますようですから、
こちらの猫は、しばらくの間お預りいたしましょう」
と宮(女三の宮)の愛猫をお預かりする旨を申しあげなさる。唐本漢籍 海上名人画譜 芥子園画傅 検索:支那 山水画 仕女図 折扇面 唐画冊 玉扣善本 木版刷 木刻 筒子頁 殿本 套印 宣紙 白棉紙 清朝 内府。
一方、衛門督(柏木)の心の中では、あまりにも愚かしいことと・・・・・《思わずにはいられない。平野謙草稿 「日野啓三の時評」 平野謙。》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。心理応用・魔術と催眠術/長春園主人著/明治36年/心理学上精神作用の試験をなし心理学の発達進歩を図りその真理を発見せんとするにあり。
禁裏(京都御所)で書かれたものです。土地 武者小路実篤 岸田劉生装幀。
《New Herbs Part Two(若菜・下)》
"Such numbers of cats as you do seem to have.
Where is my own special favorite?"
The Chinese cat was apprehended and brought in. He took it in his arms.
"Yes, it is a handsome beast," said the crown prince, "but it does not seem terribly friendly.
Maybe it is not used to us. Do you really think it so superior to our own cats?"
"Cats do not on the whole distinguish among people,
though perhaps the more intelligent ones do have the beginnings of a rational faculty.
But just look at them all, such swarms of cats and all of them such fine ones.
Might I have the loan of it for a few days?"
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《若菜・下》
一天他来,以教琴借口,乘便道:“里猫真多,
我在六条院的是一只?”
他四找,于看到了那只中国猫。松浦辰男(萩坪) 『芳宜の下葉』明治27年 宮崎八百吉刊 平田神道を学んだ国学者 桂園派の歌人。他很只猫,便去摸它。写本 新保磐根序「八日子之舎記」嘉永元年序 新潟県弥彦村「彌彦神社」祠官鈴木嘉内旧蔵書 神社 神道 国学。
皇太子道:“只猫的很可。洋学指針 蘭学部 尾張/柳河春三著。大概没有,
所以了没看的人就怕生。西国三十三所・観音御詠歌略註/山田意斎叟述・宮田翠竹斎画/明治32年/観音経・観世音詠歌/和装本。我里的猫并不比它坏。原在泉『在泉習画帖』明治22年 田中治兵衛刊 木版画譜(絵手本)有職故実を能くした京都府画学校教授・日本画家 明治時代和本。
”柏木答道:“猫西,大都不大会辨陌生人和熟人。珂羅版 皇甫君碑 南宋拓本 玻璃版 澄観閣 検:碑帖 墨拓片 原拓 書法帖 北魏碑 支那 法書道 善本 篆刻 印譜 唐本 漢籍 王羲之 石門頌 楷書。
不明的猫,当然也很敏。Y-0641 犬養木堂 注記本 古今鍛冶備考 3巻セット 雄山閣 昭和50年 山田浅右衛門 福永酔剣 限定500組。”后来他就要求:“里既然有多好猫,
把只猫借我。新方丈記 内田百閒。”
中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・下の巻の末尾(原本番号107-B)の押印。1849年 英雄百人一首 嘉永2年 検索: 武道 武具 装身具 北斎 兵器 武器 刀剣 刀術 国芳 兵法 兵書 豊国 甲冑 鎧兜 弓道 支那 武士道 殺人剣。
左下の四角の大きな印は仙台・伊達家の家紋の印(竹に雀)
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)の印。柳原白蓮歌 名取春仙画幅 おもひきや… 白蓮画賛。冬姫は内大臣・通誠の養女。田能村小斎 (田能村順之助) 編『直入翁寿筵図録』(全3冊揃)明治14年赤志忠雅堂刊 田能村直入煎茶会図録 木版画挿絵多数入 明治時代和本。
冬姫は通称。王羲之 快雪時晴帖 珂羅版 書道法帖 中華民国 検索:泰山金剛経 支那 印譜法書 金石篆刻 呉昌碩 拓本 摩崖石刻 羅振玉 黄庭堅 趙子昴 玻璃版。正式な名は伊達貞子。☆E0225和本江戸慶応3年の書き入れ「新撰年表」全1冊/佐倉順天堂/清宮秀堅/蘭学/古書古文書/木版摺り。2つとも貞子の印。佐藤元伯(佐藤信景)著 佐藤信淵校『山相秘録』(全2冊揃)明治9年 明治時代和本 江戸時代の鉱山書 金山 銀山 銅山など。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。はつぞら (俳諧) 佳雄編。
左上端の細長い落款は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩文の印。富士谷御杖『俳諧天爾波抄』(全6冊揃)文化4年刊 俳諧文法書 江戸時代和本 富士谷成章の子 国学者。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。1929年 支那 古建築 検索:生写真 佛塔 秦磚 漢瓦當 拓本 碑刻 牌楼 牌坊 箭楼 北平 満洲 清国 龍門石窟 故宮 道観 敦煌 北魏造像 行宮 寺廟。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。信濃英傑 佐久間象山大志伝 上下合本 明治15年 YAA1816。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。橘守部述 橘冬照撰『助辞本義一覧』(全2冊揃)天保12年須原屋茂兵衛他刊 国学者 国語学書 江戸時代和本 本居宣長批判書。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。漆器 木竹 螺鈿 図案 文様 紋様 図録 平脱 金銀絵 末金鏤 漱金 透漆 図様 彩漆 原色版 塗金 洒金 装飾 彫塑 蒔絵 沈金 蒟醤 彫刻 堆朱 鎌倉。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・下の巻)MRI 35―4B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。1939年 古今刀剣のしるべ 2冊揃 検索:武器 兵器 日本刀 剣道 武道 武具 馬具 装身具 弓箭 弓道 武士道 甲冑 殺陣 戦陣 刀鍔 範士 兵法 傅書。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)
「源氏物語」「若菜・下の巻」絵図、茶室関係資料
下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・下)」(源氏物語絵巻)
朱雀院(前朱雀天皇)の五十の賀を祝い女三の宮、紫の上、明石女御が演奏する「女楽」の有名な場面
上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)
上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例
「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款が押捺されている。書画鑑定指針 落款 印譜 検索: 書道 印存 封泥 篆刻 石鼓文 篆字 朱印 羅振玉 花押 支那 印章 雅印 遊印 法帖碑帖 拓本 古墨 珂羅版 鐘鼎文。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。伊勢門水自画賛幅 高砂末広 伊勢門水。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。曲亭馬琴著 渡辺小華他画『羇旅漫録』(全3冊揃)明治19年 須原鉄二刊 明治時代和本 紀行随筆集 京都・大阪案内。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。絵図(城郭図) 茨城県 常陸國 土浦城(レターパックライト発送)。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。即決 天文暦学書、明治期和本1883~1897(明治16~30)年16冊合冊『太陽暦 略本暦 おばけ暦』八卦、卜占、陰陽師 、二十八宿、略本暦。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。伊勢門水画賛幅 狂言円形画 伊勢門水。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。福田栄造編『銅版絵入懐中東京案内 二編』明治10年同盟舎出版刊 明治時代和本 銅版画挿絵多数。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。HH-5449 ■送料無料■ 芸州藩射芸書 天地人 全1帙3冊揃え 昭和12年 日置流弓道 武術 和書 古本 古書 古文書 戦前 レトロ 書籍 /くJYら。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。■『狙日第五列』山中峯太郎著。昭和15年初版帯。帯付稀本。同盟出版社刊。■猶太(ユダヤ)國際陰謀の基底を小説化。。撮影後、展示のために再表装をしております。饗庭篁村旧蔵書 岡田挺之(岡田新川)『秉穂録』(全4冊揃)寛政7~11年 永楽屋東四郎刊 江戸時代和本。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。【希少】講談日露戦争記第十五 奉天占領 神田伯龍講演/丸山平次郎速記 中川玉成堂 明治38年【ta04b】。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。菊池幽芳著 鏑木清方画「毒草」(合本全2冊)大正5-6年に大阪毎日新聞に掲載された連載小説切抜。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。口称三昧修習録 金剛寺・法上述。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。伴信友(写) 伊勢貞丈『鳴弦蟇目考』享和3年 鳴弦(弦打)蟇目に関する考証書 江戸時代和本(写本)有職故実。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。地熱 渾大防小平。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。即決 『星学図彙=スミス図解天文学』太陽系 宇宙、星図、アンティーク、天文暦学書、和本Astronomy, star map, Planisphere。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。一柳春門(村田春門)『牽牛花百首』文政7年 多豆舎蔵版 本居宣長に学んだ国学者 朝顔を題材とした歌集 江戸時代和本。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。支那事変郷土部隊写真集・両角外部隊戦況と銃後の実況/昭和13年/両角部隊の勇戦を中心に一般部隊戦況と銃後の実況につき一書を刊行。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。太田柿葉『出雲民藝紙の由来』限定300部 昭和20年 安部栄四郎特漉の手漉和紙59枚貼込 島根民芸会岩坂支部刊 柳宗悦 民藝運動。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。軍事資料 兵営図 銅版画★「近衛歩兵第一旅団兵営之図」明治29年9月発行 明治18年設置 著作者 東義道。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。満州土産写真帖/大正3年/満州地図/大連埠頭の全景/大連の満鉄本社/満鉄の急行列車/旅順停車場/旅順の歩兵連隊/遼陽の歩兵隊/奉天の宮殿。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。明治45年 外務省通商局 移民調査報告。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。柏木如亭集 覆(和装6冊)/載(年譜・解題ほか)。母は後水尾天皇皇女女二宮。古文書 書簡 安島帯刀 重国賢兄宛て 水戸藩 家老 安政の大獄 切腹 変名 梅東 歴史資料。実母は近衛家女房(瑤林院)。海豹と雲 北原白秋。幼名は多治丸。金松堂開板引札 『釋迦八相 倭文庫今樣寫繪』 明治五年五月。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。日本甲冑考 1942年 限定1500部 武道 武具 装身具 剣道 兵器 武器 剣術 刀術 兵法 傳書 弓箭 兵書 弓道 支那 武士道 殺人剣 活人剣 鎧兜馬具。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。改訂増補 大武鑑 輸送箱付 3冊 橋本博 江戸時代 大名家。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。【推薦・繊細 明治期 彩色木版画】大日本史事畫集等検合戦国武将軍記武者絵入天皇仏教浮世絵本仏像歴史古書籍骨董品錦絵朝廷中国朝鮮歌舞伎。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。完品 富士川游編『杏林遺芳』(全5輯揃) 昭和4年克誠堂書店刊 江戸時代-戦前期の医学史料図譜 彩色木版画4枚入(歌川芳虎ほか画)東洋医学。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。■東寺【教王護国寺・夜叉神・御影堂】牛王宝印 3種揃■牛玉宝印 木版 弘法大師 空海 護符 御朱印 真言密教 御朱印 起請文料紙 京都■3。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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